■ここでは、なつかしいモノ・コトを写真とともに紹介します。
1980年。こいつと出会ったのは大学に入った年だった。大学の音楽サークル_大野会に入ってまもなく、ひとつ上の学年のキンタさんにつきあってもらい、お茶の水で購入した思い出のギターである。ツヤ消しのボディは その楽器店に1本しかなく、店頭で見た時、実に シブかった。当時、同じサークルの先輩が「K-Yairi」を使っていたが、この「S-Yairi」のほうが見栄えも音も 品がよかった。
あれから40年以上の月日を経て、また埼玉の実家の家に戻って来た。おかえり、相棒。きみと作った曲の数々は、私の宝ものだ。お互い もう隠居の身… こんどはスローライフで「今」にあった音を二人で奏でようじゃないか。
今年(2022年)は、札幌オリンピック開催から50年目を迎える節目の年だ。あれから半世紀がたったのだ。思えば私もずいぶん年をとったものだ。ウチに札幌開催を記念して発行された当時の記念メダルがある。札幌の前には、まだ10回しか「冬」のオリンピックは行われていなかったのだ。
スキーのジャンプ競技は当時、まだヘルメットは着用されず、毛糸の帽子をかぶり とっくりのセーターを着て、滑走時、手を前に組んで所謂「うんちんぐスタイル」でみんな飛び出していった。なつかしいー-- ^^。笠谷幸雄選手を筆頭に今野、青地の3名が表彰台を独占した圧巻の大会だった。
フィギュアスケート(女子)では、ジャネット・リンが尻もちをついたけど、そのあとも笑顔で滑って、金メダルを獲った人よりも人気が出たのを覚えている。その時の大会テーマソングとなったのが「虹と雪のバラード」だった。トワ エ モアという男女二人のグループが歌っていた。小学校の音楽の時間に歌ったのを覚えている。
世界に1本しかない究極のフルーツジュース…
それはね、60年かけて培った「あなた」だから 味わうことが出来るのだよ。 ^^
大阪の長男夫婦からの贈り物。
物心ついたころから、私はこの時計が動いているのを一度も見たことがない。昭和40年代前半のことである。この時計の持ち主は 私の父だ。時計以外のところは「木製」で、あちこちにキズがついているのだが、それもまた味わいがあり、ぬくもりを感じる。。父が若いころつけたキズなのだろう。このごろふと思う。この時計は「いつ」止まったんだ? 「その日」は夏の暑い日だったんだろうか、それとも雪の降る寒い日だったんだろうか。とりとめもない想像をめぐらせながら、「昭和」も遠くなったものだとつくづく感じる今日この頃だ。
最近、なかなか指にしっくり来るピックにお目にかかれないのだが、久しぶりに楽器店に行く機会があり、ちょっと「プレミアム」っぽいピックを買ってしまった。音楽グッズには珍しいサッカーチームの「浦和レッズ柄」である。ちょこっと洒落ている。このごろ売り場には、材質がナイロン系のモノが増えていて、アコースティックギターメインの私にとっては不本意だったのだが、プラスチック製でしかも大き目な典型的三角ピック。アコギには持って来いだ。いいね!
これでミディアム、ソフト、と厚さの種類があれば完璧だったんだけれど、欲を言えばきりがない。そこは我慢するとしよう。。。
そのバッジは物置の父が使っていた本棚の上の木箱に無造作にころがっていた。1952年といえば、むろん私は生まれていない。昭和9年(1934年)生まれの父でさえまだ18歳! 若い! 昔はこんな他愛のないものも大事に保管していたんだよね。
1952年ヘルシンキオリンピック。場所はフィンランドだ。当時も「オリンピック」というものは、はたして人をワクワクさせるものだったのだろうか。「スポーツ何でも見る派」の父は、さぞかしワクワク派の一人だったに違いない。(ただ、あまり自分ではやらない派だったようだけど・・・)まだ家庭用テレビがなかった時代、しかもヨーロッパだから時差があり、ほぼ実施は真夜中だったにちがいない。ラジオか新聞による情報ぐらいしかなかっただろうけど、やっぱり連日連夜、結果が気になっていたのかなぁ。
以前 うちのお風呂は薪で沸かしていた。そう、「トトロ」の中でさつきちゃんがやっていた「アレ」だ。初めは小さな小枝に新聞紙の切れ端を挟んで、マッチで火をつける。火が少し大きくなったところで、少し太めの枝を突っ込む。やがて火が安定してきたら、薪や石炭で火に一層の勢いをつける。その石炭を入れるのに使うのがこのミニスコップだ。よくまぁ捨てずにとっておいたものだ。うちの物置から出て来た。うちの物置の中は、ある意味「昭和」で時間が止まっている。時々、びっくりするようなものが飛び出してくる。まぁ、お宝は出てきそうにないが・・・
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